私はSet-upの被害者である。

2006年6月彼女がとうとうキレタ!

2006年6月2日保釈になり、弁護士も決まったのであるが、裁判はゆっくりとした調子であった。

私の彼女は4月になけなしの金をはたき、日本に行く為にNakamoriにVISAの申請等の費用を渡していた。
しかし、Nakamoriが捕まってそのVISAの件の話も無しになり、また費用を返そうともしない。
依頼時にダメであったら費用はすべて返却すると言う約束であったにも拘らずである。

Nakamoriのおかげで私が捕まり、彼女自身も日本に行くことが出来ると思っていたのにもかかわらず、結局費用を取られただけであった。
私が留置所にいる時に、毎日あんな所に面会に来ていたストレスもあったのであろう。
とうとう、切れてしまった。
Nakamoriの彼女と大喧嘩をしてしまった。
まったく、ここの女の喧嘩は手に負えない。
相手がどういう者かを考えずに平気で喧嘩を売るのである。

私は、今のところNakamoriしか頼るところが無い為、何とか、気持ちを抑えていたのにもかかわらず。。、

Nakamoriの思う壺になる事が誰からしても分かると言うのに。。。
しかし、何とかその場は取繕う事が出来た。
だが、Nakamoriは根に持っていたのであろう。

暫くすると案の定、Nakamoriから私の彼女とその両親がNBIに訴えられていると言ってきた。
しかも、NBIの担当は私を捕まえた捜査官。

話が出来すぎていた。
しかも、彼女の裏で私が糸を引いていると言うのである。
その時は彼女は私の子供を身籠っていた。
NBIに捕まった若い女が捜査官にどんな事をされるかは、私が捕まった時に、その場に居合わせて知っている。

私の彼女にそんな目に遭わす事は絶対出来ない。
しかも、子供を身籠っている。
しかしながら、私自身が出向いて行き事の真偽を確認出来ないのである。

相手はP100.000払えと言う。
何とか、他の知合いを通じて事の真相を調べて貰おうにも、その手段も時間も無い。
全く、お金は溝に棄てるのと同じである。
しかし、現実だったら、或いは、Nakamoriの周りにはどうも、善からぬ連中も居る様子。
事実でなくても、事実にしてしまう事も、この国では簡単に出来てしまう。
もう、どうすることも出来ない、手も足も出ない。

言われるとおりに、Nakamoriを代理に立て、払うしかない。
その代わり、Nakamoriに相手から領収書を貰ってくれと頼んだ。しかも、一筆書くようにも指示をした。
以後、何かの話の度に何度も、領収書の件を出すものの、数年経過する今でも、その領収書の存在さえNakamoriの口から出なくなっていった。

2006年6月2日保釈になったのは良いけれど。。。

車はJの家に着いた。
中からJがニコニコして出てきた。
「中で、話があるから、、、」とにかく中に入った。
「どうして今日こんな形で出ることが出来たの?」と聞いてみた。
J曰く、「秘密で保釈の手続きをしないと、他が邪魔をするから、、、」と言っていた。
どういう事か分からない。
よくよく聞いてみると、以前Nakamoriを連行した部署と、私たちを逮捕したところの部署が違っていた。
先にナカモリに唾をつけたのはJと当然その部署であり、例の4人の女たちが使った部署とは違っている。だから、先に唾をつけた部署に優先権があると言う。
4人の女たちと逮捕した部署に知れない様に、保釈の手続きをしたと言う。
怖い話である。
また、私のVISAが延長されていない為、急遽、延長をしなければ裁判にもならない。
金額は後日話すという。
その日はゆっくり休むことになった。

でも、腹が立って寝れない。
とんでもない、事に巻き込まれたものである。

次の日に、サンタ、メーサのSMでミロとその上司のGと今後の相談をすることになった。
なにはともあれ、私は不法滞在のままであるから、十分注意するようにとミロから忠告された。
ホテルも手配がいく可能性があるから、だめだと言っていた。
カルオカンの彼女の家にVISAの延長が終わるまでしばらく滞在することになった。

ミロ上司のGはいかにも抜け目のないような顔をしている。目は蛇のようであった。
弁護士の選択、これからの方針を決めた。
真っ向から、争う方向である。
私はまったく関係の無い事であるため、必要な時だけに顔を出せば良い。
との事になり、殆どの事はNakamoriが処理をする事になった。
この時にはGが居る手前か私のVISAの延長の金額の提示が無かった。
多分、Gの知らない所で手数料の分配の話が進んでいるのであろう。
Gが知ったら全部持っていかれるだろうから。。
明日連絡をするとの事であった。

明日、金額の連絡が来た。P120.000掛かるとの事である。
前、P34.000払ってなんで今回P120.000必要なんだ?しかも、私が払う必要があるのか?
Nakamoriに言った。Nakamoriは「今、余裕が無いので、何とか支払って欲しい」との事。
延長をとにかく早急にしなければいけない事は分かっている。
延長が終らないと何も事は始まらないし、立場がこれ以上悪くなる。

まず、私が先に不起訴になるであろう。その後にすぐに4人の女を告訴する。
弁護士曰く、1人当たりP250.000、合計P1.000.000の損害賠償は入ってくるとの事、また、その告訴の費用はNakamoriが全て払うと言うことであった。
その話をそのまま日本の両親に説明をし、了解をもらった。

しかし費用が届き支払おうとしたら、NからP120.000では足りないと言ってきた。
1日か2日後の事である。P200.000に値段が値上がったと言う。
まったく、人の弱みに付け込んでくる。
初めはミロだけの仕業だと思っていた。
でも、後に起こった事などをヨクヨ考えるとどうやら、私は勘違いをしていたようであった。
実はミロもJもNakamoriもみんな大きく口を開けていたのである。

情けない話、それに気が付いたのは実にNBIに捕まってから、1年以上も経ってからである。
しかしながら、気が付くまでの間におかしい事は、何回も有り、その都度、首を傾げながら、ナカモリの言い成りに成らざるを得なかったと言うか、どこかで、日本人特有の多少の金で解決が出来ればと言う心に付け込まれてしまっていた。

2006年6月半ば諦めかけていたのあるが、、、

6月2日PM3前だったと思う、面会の時間を心待ちにしていたら、いきなり、NBIのスタッフが入って来て「荷物を持って外に出ろ」と言った。周りの皆が驚いた、「どうしてだ?」「帰る」と言った。私以上に他の連中が喜んでくれた。私は何か嫌な予感を感じつつ、隣の事務所に行くと、そこには、見慣れない人物が居た。弁護士だった。こんな弁護士知らないぞ!!と思いながらも、ついて行くしかない。事務所では簡単な処理だけ、また、外のセキュリティの所は全くの素通りである。弁護士に「どこに行く?」と尋ねた。「向かいのホテル!」との答え。不安であった。
Nakamoriは靴を仲間に取られたらしく、スリッパである。外を歩く人たちには私たちはどのように見えたのであろうか?カッコなんか気にしている暇は無い、とにかく、家に帰りゆっくりしたかったのであるが、このホテルで誰に会うのか?以前にこの日の事を知らされておれば、こんな余計な心配をする必要は無かったのであるが、いきなりである。それも、いきなり、知人が尋ねてきた程度ではない、外に、出てしまったのである。
もう、如何しようも出来ない、その弁護士に付いて行くしかないのであった。

留置所に居るとき隣の部屋に居るナカモリと面会の時間に少し話をすることが出来て、その時にナカモリが「NBIと訴えた女4人は私を留置した事で後で逆に告訴されると思っているらしく、もし、留置所を出たとしても命が狙われる恐れがあるから十分気を付けた方が良い」と言われた言葉が十分すぎるほど頭の中でぐるぐる回っているのであった。。

NBIのタフトの向かいのたしかマニラパールホテルであった。
さっさと弁護士はホテルの中に消えようとしていた、慌ててタフトを渡り同じくホテルに入るしかない。
エレベーターのところで弁護士は待っていた。「3Fに友達がいるから、、、」弁護士はそう言うとエレベーターの中に入った。Nakamoriと私は弁護士に離れない様にするしかない。しばらくして3Fに着いた。ドアーが開くとそこは駐車場であった。ますます怪しい。。。。もう、如何なっても良い!!もう、まな板の上の鯉状態であった。

エレベータの外は駐車場になっていた。
嫌な感じ、、、映画の一場面に出てきそうである。よく殺される場面が有るなあ。。。。なんて、思いながら弁護士の後を付いて行った。
しばらく、歩くと大きな人影が出てきた、よく見ると知ってる人影であった。
それは、NBIの他の部屋のエージェントのミロであった。

知り合いといっても、数週間前にNakamoriを別件で連行したのが、そのエージェントである。
しかし、その後ろには誰が居るかは知っている。
少しは、安心しそうである。
そのミロに「どうして?」と聞いてみた。「二人留置所から出れたよ!今から、アンティポーロに行く!」と言った。彼の後ろで指示をした人物の家にまず行くと言うのだ。
何とか、なりそうだ。これで家に帰ることが出来る。嬉しかった。
弁護士そして私とNakamoriがミロの車に乗り走り出した。

車中でミロが私に「お前のVISAは不当滞在のままだ!!」と言った。
「なぜ?後はスタンプを押すだけじゃないの?」Nakamoriに聞いてみた。
Nakamoriは「分からない」と答えるだけ。話にならない。。。

車は、アンティポーロのJの家に着いた。

2006年5月留置所内 その2

留置場の生活が始まった。

朝7時起床、点呼が来る。それが終わると掃除、私はVIP何もしない。
ただKAPATIDが掃除をしたり、水を運ぶ姿を眺めるだけである。食事もVIP以上は良い物を食べる事が出来た。調理をするのはVIPであるが、以前鳥料理の店でコックをしていたと言うBOYと言う名前のとても厳つい親父であった。
面会は月~金はPM3からPM5まで、土日がAM9からPM3までだった。しかし、面会のたびにP20がVICEに徴収された、奴はいかにもヤンチャはガキといった感じである。
私が居た部屋には大半はシャブで捕まった連中、MAYORは泥棒、VICEはレイプだったかな?
そんな連中ばかりであった、いつ襲われるか分からない様な気分で気が気ではなかった。
楽しみといったら、面会に彼女が来てくれる事と、皆でDVDを見るぐらいしかない。
勿論エアコンなんて無いから、暑苦しくて、うるさい扇風機だけ。外からは風は全く入らない。入って来るのは多くの蚊とすぐ近くのNBIの射撃の練習をしている音だけであった。射撃の練習はまるで留置されている連中に「今度はお前が的になるんだよって、言っているようであった」気分の良いものではない。

5月26日NHKのマニラ支局から取材が来た。
NBIのスタッフからは余分な事は言うな!!と言われるし。
どうして取材に来るほどの事になっているんだ?不思議でならなかった。
結局は余分な話は禁止されたので、取材は拒否させて頂いたのあるが、、、日本でどの様になっているのか、全く分からずに終わってしまった。

留置所での生活は、マンネリ化していた。
私が日本人であるためか、同じ部屋の連中でも気にしてくれる様になった。
犯罪を犯して留置された人間でも、どこか心優しいところを持った人も居る。
元鳥料理店のコックをしていた厳ついBOYが良い例であった。
BOYには皆が一目置いている。外見はいかにも、犯罪者。。。BOYが知ったら怒るかな?
最終的には一番の友達になった。
意地の悪いVICEから私を守ってくれたり、腹も空いていないのに、これ食べろ、あれ食べろ、と気遣ってくれた。また、私が塞込んでしまった時なんか、唯一元気付けてくれたのは言うまでも無い。
次の友人はファイナンス アドバイザーの仕事をしている者、3ミリオンペソを訴えられたと言っていた。
後の連中は日本人から小遣いを取ることしか考えていない様子。
しかし、BOYと仲良くなった事で、それも無くなったのであるが。。。

毎日、いつになったら出れるんだ?
なんで、こうなった?
日本の親兄弟、親戚連中に申し訳無い。
そればかり考えていた。

2006年5月留置所内 その1

もう、暗くなっていた時間だったと思う、留置所の隣の事務所で手続きを済ませ、鉄格子のトアをくぐって行った。Nakamoriは「悪いなあ。」と言っていたが。。。いつかは責任を取って貰う、その場限りの言葉なんぞ不要なのだ。何も解決されない。

Nakamoriは奥の部屋。私は手前の部屋に通された。
留置所はNBIの敷地内にあり、事務所と隣合せであり、独立していた。
手錠を嵌められたまま、片面が鉄格子の気味の悪い建物が近づいてきた。
一体どんな連中が居るのであろう、どうせ、犯罪者ばかりの中に入れられて唯で済むわけにはいかないよなあ?リンチも有るかも知れない?いろいろ頭の中を駆け巡ってきた。。しかし、行くしかない。腹を決めるしかない。

鉄格子の面は面会用にもなっており、また、通路でもある。
通路の向かって右側に奥と手前にとに部屋がある。
通路の真ん中でまた鉄格子で遮られており、手前の部屋には、また奥と手前とに別れている合計3つの部屋があった。
通路手前の手前の部屋は女部屋であった。

決められた部屋に入ったとき奥から大きな男がやってきた。
「こっちに来い」と奥に連れられ、「お前ココに来たからには、ココのルールに従え、言う事を聞かないとこうなるぞ!!」と言い長さ40センチほどの幾つか回りに釘が出ている棒を振り回し始めた。

とにかくしばらく大人しくするしかない。
多分、その時にまだ明日には出れるんだと思っていたのである。甘かった。。。。

私の部屋には約15名。
大きく分かれて4段階に階層が分かれている。
MAYOR、VICE、VIP、KAPATIDの4つである。
順にその部屋の長、その副長、特別待遇、雑用係と言ったところか?
始めに棒を振り回しうるさく言っていたのはVICEで、「お前は日本人だからVIPにしてやる。しかし、P5.000出せと言っていた。」「解った。何とかする」しか私は言えなかった。

これは拙いと思い、MAYORから携帯電話を借り、彼女にTXTをするからと言い、日本大使館のHさんにTXTをした。日本大使館で何とかしてくれると思ったからである。

確か次の日にその日本大使館のHさんから電話が来た。「あんた誰?」すごい横柄である。日本に居る時には横柄な態度をされると、ガンガン攻めてやるのであるが、そんな事を言える立場と状況ではない。横柄な態度にも頼るしかないのである。事情をHさんに説明をし、すぐにでもここに来て欲しいと依頼、しかし、次の日に面会に来てくれた、彼は、私が2月までセブに居た事を知っているのである。
それにもかかわらず、NBIは前年の2005年からNakamoriと共に悪さをしていたと言うのであるから、日本大使館のHさんが着て貰えれば私の無実が実証され、私だけでも出れると思っていた。しかし、Hからは「日本大使館側では何も出来ない。」ここの弁護士の事務所と通訳の事務所が印刷されたコピーを渡された。たったそれだけである。

ここで、いったいいつまで我慢をすればいいのだ?
眠れない日々が続いた。

2006年5月トンでもない落し穴!

Nakamoriと出来るだけ一緒に行動を移す為に近くにアパートを借りて生活を始めた。
日本からは恥かしくて生活費を送って欲しいなんて言えない。
ギリギリの生活であった。

行動を共にしてみると何やら他にも仕事をやっている様子。
聞いてみると、偽装結婚の手伝いをしているのであった。
本人曰く、タレントとして日本に行く事の出来なくなった女性を救っているのだと言う。
しかし、偽装結婚とは私としては出来ない仕事。
他の仕事を探したらどうか?と話をし、何か良いビジネスを探していた矢先であった。

あれは忘れもしない2006年5月22日の午前中。
全く知りもしない女性から偽装結婚を依頼したいと私の携帯電話にTXTが来たのである。
その少し前からNakamoriの携帯電話が調子悪いとかで私の方に他からもTXTが来たりしていたので取立ててヘンに思わなかったが、でも、全くの知らない人物だったので、胸騒ぎらしきものがあった。
昼過ぎにカインタのサンタルシヤモールの喫茶店で待ち合わせる事になった。
他にも知合いの日本人が来ているかも知れない。
Nakamoriの仕事の事は興味が無いのだが、知り合いに会えるかも知れないし、私の方に連絡があった手前責任みたいなものも手伝って一緒に向かった。

Nakamoriはもうこれが最後にしたいとも言っていたが、、、

喫茶店に着いたところNakamoriを紹介してくれたOさんがコーヒーを飲んでいた。
彼とは約1ヶ月ぶりの再会である。
私より10歳以上も年配で良き相談相手であった。
暫くすると他の知合いのナガイも来ていたのだがスーッと姿を消した。何かへんだなって思っていたら、偽装結婚の依頼人のCが顔を見せた。
NakamoriとC、私とOさんが話しているときに、Cが何やらNakamoriに手紙らしき物を手渡し、ゴソゴソしている時に、背後から”NBI”という声で驚かされた。

いったい何がなんだか解らない。。。
携帯電話を取上げられ、立てと言う。。
周りを見るとTVカメラがこちらを向きライトが付いている。。
ハッキリ言ってビックリカメラか?とさえ思った。。
背中をコツかれモールの中を歩かされた、終始TVカメラは付いて回ってくる。。
モールの外の駐車場に着きレボに乗せられた。
クルマが走り出したとき4人ほどの知合いのフィリピン女性の顔が見えた。
どうして連中がこんな所で??
嫌な気がする。。。
クルマの中でNBIのスタッフがNakamoriの昔の彼女の名前を言っていた。。。
ヘンだ、絶対嵌められた。。。

そうこうしている間にNBIの本部に着いた。
3階に連行された。
部屋に着くともうそこには駐車場に居た知合いのフィリピン女性が居た。
一体どうなっているんだ?何これ?

事情聴取が行われると思っていたが一向に始まらない。
一緒に連れて行かれたOさんは全然関係が無いことである。
当然、私もそうであるが、、、
暫くしてOさんの奥さんが現れ、スタッフに小遣いを渡してOさんは帰っていった。。。たしかP1500
スタッフに私の関係ないのにどうしてだ?と聞いたが”お前は関係がある”と言う。
調べれば解る事だからそう心配はしていなかった。
しかし、スタッフから告訴状の原稿を見せて貰った時、驚いた。。。
私がセブに居るときからNakamoriと一緒に、無免許で仕事をし、詐欺と人身取引というのが罪状であった。
当然抗議をした。まったくの濡れ衣だから当たり前である。
しかし、返答には呆れた。後で、揉みくちゃにするからこれで良いのだと言うのである。

何とかして日本大使館に連絡をしようと思った。しかし、いくら何でもNBIと大きな看板を背負っている組織がろくに調べもしないで無茶な事はしないだろう。。。また、NBIから日本大使館に連絡を入れるような事を言っていたので、日本大使館のスタッフが来たら当然関係の無い私は無事開放されると思っていた。

まだまだ日本の感覚から抜け切れていなかった私は大変甘かった。
NBIのスタッフは3日以内にP100.000を作りなさい。そうすればこの告訴状はクチャクチャに揉消してやる。もし、3日以内にお金が作れなかったら、留置所に入ることになると言った。それまでこの事務所で泊まることになった。
なんて所だ。。。。。金次第か、、、、

Nakamoriが何とか作ると言った。
こんな馬鹿げた事を日本の両親に知れたら大変な事になる。ただでさえも散々迷惑、心配をさせてしまったこれ以上何とか防ぎたい。。。私ではお金は当然用意できない。Nakamoriに任せるしかない。

次の日Nakamoriの彼女の家族と私の彼女が面会に来た。
私の方の彼女は寝ていない様子、、いきなり連絡が付かなくなって心配していた所に私とNakamoriがGMATVのNEWSに出たのだ。。
とてもビックリしたらしい。。
恥かしい話だ、当分外を歩けない。と思った。

Nakamoriはホント落ち着かなかった。出来ると言っていたお金が難しいようである。
でも、時間はドンドン経過する。
それでも、Nakamoriは何とかなると言っていた。

約束の3日目である。
お金は未定のままである。
でも、不思議な事であるが、なんか落ち着いていた。
こんなバカバカしい事でそう簡単に外国人を留置所に入れないだろうと思い始めていたからである。
後で絶対問題になるはずだからそんな頭の悪い事はしまい。。

昼過ぎにDOJに連行(そうは言っても、護衛が付添う訳ではなくスタッフは1人で外を歩くのである。周りは普通の通行人が歩いている。絶対に逃げれる。。。でも、出来なかった。)
検事が告訴状を見て、如何するか?と言った。
確かP2.000.000を支払うか、あるいは裁判をするか?という事であった。。
弁護士らしき者が居たので、貴方だったら如何する?と聞いてみた。
彼は自分が無罪であったら当然裁判をすると述べた。自分に依頼をして貰いたい事もあっただろうが、、、
でも、裁判は当然である。関係の無い事で1円なりとも支払う気持ちは無い。
裁判になったら我々はそれまでどうなるのか?と尋ねた。
彼は留置所に入る事になると言った。。。
悔しい事であるが、仕方が無い。後でその分仕返しをすればいいのだ。。。

午後7時であったと思う。
DOJから事務所に帰ってきた我々はこの時間に手錠を掛けられた。。。。
悔しさで涙が出そうになった。泣くわけにもいかない、廊下に出たらまたTVのカメラがこちらに向かっていた。自分は無実なんだ。下を向いたら認める事になる。上を向くしかない。(多分ひどい顔をしていたろうな?)

裏手の非常階段を下り、同じ敷地の留置所に向かった。。。

2006年3月Nakamoriとの再会

Nakamoriと出会ったのは、2005年6月位カインタのあるモールの中の喫茶店で偶然会い、同じ日本人と言うことで30分程度話をしただけでした。しかし、約一年後の2006年5月22日に同じ所でとんでもない事になるとは誰も予想しなかったでしょう。
初めて会った時のNakamoriの印象は全くの好青年。言葉使いも丁寧で、物腰も低く優しい。その時同席していた年配のOさんも同じ意見だった。
Nakamoriはここで、宝石の仕事をして各国を飛び回っているとの事であった。
その後私はセブに渡ってしまってある事情の為帰る事が出来なくなってしまった。それが白黒ハッキリするまで帰れなかったし、日本の両親にも報告が出来なかったのである。
2006年1月、やっと日本に報告する事が出来、帰国が出来る時には私はすっかり不法滞在になってしまっていた。日本の両親と遣り取りに時間が掛かり、日本に帰国しようとマニラに来たのは2006年3月22日。もう、フィリピンに戻ってくる気持ちが無かったので、最後にマニラの彼女(今の妻)と友人、知人に挨拶をしてそれから帰国をする予定であった。だから、すぐに日本大使館に駆け込むつもりで来たのである。
3月23日それでカインタの知人に会った。以前あのモールでNakamoriとその場に同席した年配のOさんである。Oさん曰く、「何も不法滞在のまま帰る事は無い。知り合いを紹介して上げるから、相談だけでもしてみたら」と言われ会ったのが、一年前に会ったNakamoriであった。
今は、VISA関係の仕事をしているらしい。話し方も前のまま、アヤシイ雰囲気もしない。私の旅行者VISA期間延長するにしてもそんないに多額は掛からないし、数日で処理が出来るということであった。早速、私は日本の両親へその旨を告げ。3月24日NakamoriにVISAの延長の処理を依頼。しかしながら、数週間待てど暮らせど、一向に処理が終了したという話が来なかったのである。Nakamoriからは「依頼した者が体調不良でイミグレーションに行くことが出来ない。処理はもう済んでいる、後はパスポートにスタンプを押すだけだ。」という事であった。
時間が掛かるからという事で、私の彼女の日本への結婚VISAの申請までお願いした。一緒に日本に行ければ良かったのである。結局、彼女のVISAも中途半端。Nakamoriへの猜疑心が強くなり、私は行動を共にするようにしたのであった。逃げられたら大変困る。その一心であった。
その後、5月22日にNBIに逮捕され、留置。不起訴になったのは2007年1月9日にやっとDOJから通知が来たのである。
その後、裁判等でNakamoriと行動を共にする事が多くなったのであるが、だんだんと本性が見えて来たのであった。
しかし、その時はもう遅しさぞやNakamoriは、楽しい一時を送ったのであろう。。。