2.3日してSからメールが来た、「今、日本大使館の保護の下でユースホステルに滞在している」
との内容であった。会いに来て欲しいという。場所はバクラーランの教会の近くである。
私が住んでいる、カルオカン市からLRTで30分足らずである。
私は彼に対し申し訳無い気持ちもあったので、早速会いに行った。
待ち合わせ場所は、バクラーランの教会。すぐに向かうとリプライをした。
ものの1時間弱の後Sと再開をする事になった。
会ってみると、Sは顔色が良い、住み心地は大変良いとの事である。
教会から歩いて15分足らずにユースホステルはあるとの事、一緒に来て欲しいという事である。
他にも日本人が滞在しているとの事であった。
私はSet-upの被害者である。
2007年2月Sとの出会い その2
そんな訳で、登場したSさんであるが彼の言いたい事は「日本に帰ればお金になる。だから、お金を貸して欲しい」という事であった。
まったく予想していた通りの話であった。
良く知りもしない人間にそんな事がよく言えるもんだと閉口してしまったが性格上無視も出来ない。
こっちも困っているのであるが、相手のSも困っている事は事実である。
何とか良い方法を考えようと話してみた。
その為に色々尋ねてみた。
尋ねてみると、さっき言った事が、後では違う事を言ってみたり、どうも疑問に思うことが多く出てきたのである。
ある日Nakamoriから連絡があり、例の裁判の事で打ち合わせをしたいとの事であった。
NakamoiとSとを引き合わせ手みたいと思ったので、Sを連れてNakamoriに会わせてみたのである。
そうしたら、やはりSは私に言った時の様な話をしたのである。
傍らで聞いていた私は、冷静なので笑いを堪えていた。
ものの5分前に言っていた事とは違う事を言ってみたり、支離滅裂な話が繰り広げられていた。
Nakamoriが用事があるという事で、その場はお開きとなったのであるが、私には確信を持つことが出来た。
Sはここフィリピンで寸借詐欺的な事を繰り返してきているようである。
もう、手を切るしかない。
数日後、ひょっこりSが顔を出した。
彼が厄介になっているフィリピン人の家を追い出されてしまって行く所が無いという。
だから、私の家にしばらく泊めさせてもらいたいと言ってきた。
ただでしも、当時の我が家には彼女の家族がひしめき合い、Sが寝る所すらないし、もし会ったとしても、Sと一緒ではまた厄介な事になる可能性が大きい。
そこで、Sに喫茶店で話をしようと誘ってみた。
いく所はマビニのLAカフェである。
24時間開いているし、そこでは私の知人が多いのでなにかと都合が良い。
向かう道中、私の頭の中は、どうすればSを在比の日本大使館に連れて行くことが出来るのであろうか?であった。
それしか方法は無い。
LAカフェに着き、コーヒーを飲みながら今日の事情を聞いてみた。
彼の話ではいきなり家主が怒り出し、出て行けといってきたというのである。
着替えも何も持ってきていない。
荷物も家主に取られたとのことであった。
もう私の力ではどうすることも出来ないことである。
もう、日本大使館に助けを求めに行くしかないよ!と言ってみた。
当然Sの答えはNOである。
しかしながら、彼が以前言っていた日本に帰ればお金になるというのであれば、まずは帰るべきである。
その事を強く押すしかなかった。
Sを説得するのに朝までかかった。
前日の夜10時に着いて徹夜の状態である。
日本大使館が朝8時過ぎに開くので、Sの気が変わらないうちに連れて行こうと思った。
しかし、情けない事にタクシーにも乗ることが出来ないぐらい手持ちが無くなっていた。
Sは1ペソも持っていない。
朝5時ぐらいになっていたので、マビニから2人で歩き出した。
意外と遠い、Sが逃げ出さない様に私も着いて行くしかなかった。
2人共寝ていないからゆっくりゆっくりベイウォークを歩いたのである。実に2時間以上かかった。
日本大使館には8時20分ごろ着いた。
しばらく、2人側道に座り話を始めた。
Sは観念している様である。
周りにはフィリピン人数十人が日本大使館が開くのを待っていた。
彼らの眼には私たち日本人が異様に移ったに違いない。
しばらく、ボーっとして待っていたところ、やっと開館の時間になった。
私はSを促し日本大使館の中に入っていくSの背中を見ながら、申し訳無いけど、これしか方法が無いんだと自分に言い聞かして、カルオカンの自宅に戻っていった。
まったく予想していた通りの話であった。
良く知りもしない人間にそんな事がよく言えるもんだと閉口してしまったが性格上無視も出来ない。
こっちも困っているのであるが、相手のSも困っている事は事実である。
何とか良い方法を考えようと話してみた。
その為に色々尋ねてみた。
尋ねてみると、さっき言った事が、後では違う事を言ってみたり、どうも疑問に思うことが多く出てきたのである。
ある日Nakamoriから連絡があり、例の裁判の事で打ち合わせをしたいとの事であった。
NakamoiとSとを引き合わせ手みたいと思ったので、Sを連れてNakamoriに会わせてみたのである。
そうしたら、やはりSは私に言った時の様な話をしたのである。
傍らで聞いていた私は、冷静なので笑いを堪えていた。
ものの5分前に言っていた事とは違う事を言ってみたり、支離滅裂な話が繰り広げられていた。
Nakamoriが用事があるという事で、その場はお開きとなったのであるが、私には確信を持つことが出来た。
Sはここフィリピンで寸借詐欺的な事を繰り返してきているようである。
もう、手を切るしかない。
数日後、ひょっこりSが顔を出した。
彼が厄介になっているフィリピン人の家を追い出されてしまって行く所が無いという。
だから、私の家にしばらく泊めさせてもらいたいと言ってきた。
ただでしも、当時の我が家には彼女の家族がひしめき合い、Sが寝る所すらないし、もし会ったとしても、Sと一緒ではまた厄介な事になる可能性が大きい。
そこで、Sに喫茶店で話をしようと誘ってみた。
いく所はマビニのLAカフェである。
24時間開いているし、そこでは私の知人が多いのでなにかと都合が良い。
向かう道中、私の頭の中は、どうすればSを在比の日本大使館に連れて行くことが出来るのであろうか?であった。
それしか方法は無い。
LAカフェに着き、コーヒーを飲みながら今日の事情を聞いてみた。
彼の話ではいきなり家主が怒り出し、出て行けといってきたというのである。
着替えも何も持ってきていない。
荷物も家主に取られたとのことであった。
もう私の力ではどうすることも出来ないことである。
もう、日本大使館に助けを求めに行くしかないよ!と言ってみた。
当然Sの答えはNOである。
しかしながら、彼が以前言っていた日本に帰ればお金になるというのであれば、まずは帰るべきである。
その事を強く押すしかなかった。
Sを説得するのに朝までかかった。
前日の夜10時に着いて徹夜の状態である。
日本大使館が朝8時過ぎに開くので、Sの気が変わらないうちに連れて行こうと思った。
しかし、情けない事にタクシーにも乗ることが出来ないぐらい手持ちが無くなっていた。
Sは1ペソも持っていない。
朝5時ぐらいになっていたので、マビニから2人で歩き出した。
意外と遠い、Sが逃げ出さない様に私も着いて行くしかなかった。
2人共寝ていないからゆっくりゆっくりベイウォークを歩いたのである。実に2時間以上かかった。
日本大使館には8時20分ごろ着いた。
しばらく、2人側道に座り話を始めた。
Sは観念している様である。
周りにはフィリピン人数十人が日本大使館が開くのを待っていた。
彼らの眼には私たち日本人が異様に移ったに違いない。
しばらく、ボーっとして待っていたところ、やっと開館の時間になった。
私はSを促し日本大使館の中に入っていくSの背中を見ながら、申し訳無いけど、これしか方法が無いんだと自分に言い聞かして、カルオカンの自宅に戻っていった。
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